マヤ遺跡、エル・バウルの宇宙人レリーフ
こちらはグアテマラ南部のエル・バウルのマヤ遺跡で発見された石碑です。
紀元37年の日付のある1号石碑と古典期中~後期(A.D.400頃~900頃)のコツマルワパ様式の7号、27号、30号、50号石碑の石碑が知られています。
写真のエル・バウル記念碑27号は、通称「球戯者の石碑」と呼ばれています。
石碑の高さは2メートルほどあり、4~9世紀に製作されたものと推定されています。
宇宙人描いた石碑に見える?
石碑には、サルのような人間の姿が描かれています。しかし、拡大してよく見ると、以下の点で宇宙人を描いたのではないか?と思われる特徴が確認できます。
- 目の周りにのぞき穴のようなものがあり、肩まで覆うヘルメットのような物体が見られる。
- ヘルメットからはチューブが出ており、それが背中の呼吸装置、あるいは生命維持装置にまで繋がっている。
- 口からは、炎を吐き出しているように見える。
これだけで宇宙人と決めつけるわけにもいきませんが、こちらもマヤ文明の遺物である点を考えると、宇宙人であっても不思議ではないという印象は受けます。
サルかフクロウネズミの皮を被った人間?
一方で、「球戯者の石碑」の定説では、宇宙人ではなく、以下のように考えられているようです。
- ヘルメットを被っているのではなく、サルかフクロウネズミの皮を被っている。
- 口から出ているのは炎ではなく、シンボライズされた水である。
ヘルメットから出ているチューブについては、何かの装飾品が、そのように見えているだけなのでしょうか?
ただ、口が人間のものではなく、獣のような口をしているのが気になりますね。動物が擬人化された神なのかもしれませんが…。
宇宙人のイメージイラスト
こちらは想像力を逞しくして、描かれた復元イラストです。あくまでもイメージ画ですが、こうして見ると宇宙人にも見えますね。
マヤ文明は、宇宙人と接触して発展した?
マヤ文明はメキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどに栄えたメソアメリカ文明です。
紀元前1,000年頃までは、マヤ高地においては土器が使用されていたものの、低地ではまだ土器が使用されない程度の文化水準でしかありませんでした。
ところが、冒頭で紹介した遺物が作られたと考えられる紀元前900年頃から、急速に発展を遂げているのです。
宇宙人たちとの接触で、高度な技術を提供された結果、マヤ文明が開花したのだとも考えられますね。
マヤ文明に限らず、世界各地の古代文明には、宇宙人と接触していたのではないかと思われる遺物が数多く残されています。
人類の発展が全て宇宙人のおかげだとは思いませんが、彼らは大きな時代の端境期に現れては、何かしらの関与をしているのかもしれません。
今回紹介したオーパーツが、そうした真実を伝えているのだとしたら、人類史を根底から考え直さなければいけなくなりますね。
ヴィジュアル版 超古代オーパーツ図鑑
『超古代オーパーツ図鑑』には、世界の7大オーパーツから太陽系惑星に存在しているオーパーツまでを網羅している一冊です。今回紹介したオーパーツも載っています。
数多く紹介しているので、一つひとつの解説は深くまで掘り下げていませんが、見やすいカラー写真やイラストが豊富なので、けっこう楽しめます。
世界中には、どんなオーパーツがあるのかな?と、ガイドブック的に探すのにもお勧めです。