トルコのギョベクリ・テペ遺跡の謎。世界最古の建造物!

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現存している世界最古の建造物と言えば、エジプトのピラミッドを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

しかし、それよりも遙かに古い時代の建造物が発見されています。それはトルコのギョベクリ・テペ遺跡です。

ギョベクリ・テペの石造構造物は、放射性炭素年代測定により、なんと紀元前1万年~紀元前8000年に建造されたと特定されています。

しかも、石柱には複雑なレリーフが施されており、この時代には考えられない高度な技術が使用されているのです。

鉄もない石器時代に、なぜこのような建造物が造られたのでしょうか?

当記事では、トルコの世界最古の建造物「ギョベクリ・テペ遺跡の謎」についてご紹介します。

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トルコのギョベクリ・テペ遺跡とは?

トルコのギョベクリ・テペ遺跡

トルコのギョベクリ・テペ遺跡の地図

ギョベクリ・テペ(Göbekli Tepe)の遺跡は、トルコのアナトリア南東部、シャンルウルファの郊外の丘の上にあります。

ギョベクリ・テペとは、トルコ語で「太鼓腹の丘」を意味します。ぽっこりとした小高い丘です。遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及びます。

遺跡は標高およそ760メートルの場所にあり、近くには水源も耕地もないため、人々が生活した痕跡はほとんど残されていません。

このため、調査チームの指揮を執ったクラウス・シュミット(Klaus Schmidt)氏は、ギョベクリ・テペ遺跡は集落ではなく、聖地に建てられた神殿の遺跡であると推測しています。

遺跡が神殿であるならば、人々が狩猟採集で暮らしていた石器時代に、突如として宗教施設を造る高度な民族が出現したことになります。

さらりと書いていますが、これは今までの学説では説明ができないことです。これによってギョベクリ・テペ遺跡は、人類史を覆す大発見と言われているのです。

ギョベクリ・テペは、ストーンヘンジよりも、さらに古い!

トルコのギョベクリ・テペ遺跡 拡大写真

ギョベクリ・テペ遺跡では、巨大なT字型の石柱が、いくつも円を描くように並べられています。各石柱は6メートル以上、重さは20トンあります。

この巨石の配列を見ると、イギリスのストーンヘンジが真っ先に思い浮かびますね。しかし、トルコのギョベクリ・テペ遺跡はストーンヘンジよりも、さらに古い時代に造られています。

ストーンヘンジは、紀元前2500年~紀元前2000年の間に建造されたと考えられているので、ギョベクリ・テペ遺跡は、それよりも7~8千年も昔に建造されているのです

しかも、ストーンヘンジよりも、ギョベクリ・テペ遺跡のほうが高度な技術を用いているのですから、さらに驚きです。

ストーンヘンジ

こちらはストーンヘンジです。場所も時代も異なりますが、円を描くように並べられる巨石の配列と、T字型の石柱に、ギョベクリ・テペ遺跡との共通点が見られます。

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T字型の石柱の意味

T字型の石柱(トルコのギョベクリ・テペ遺跡)

ギョベクリ・テペ遺跡のT字型の石柱は、人間の姿を象った彫像と考えられています。T字の上が横顔であり、下の石柱が体になっています。

いくつかのT字型の石柱には、下半分に人の腕の彫刻が彫られているのが確認できます。少数ですが、ふんどしの施された石柱も発見されています。

T字の石柱に描かれている手

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱は、祀るべき祖先なのか、崇拝者の代理なのか、あるいは神などの超常的な存在なのかは、はっきりと分かっていません。

石柱の上の顔は、なぜか描かれていないため、別の世界の存在を意味しているとも考えられます。

要するに、この石柱は人類が初めて造った神の彫像であり、ギョベクリ・テペ遺跡は世界最古の聖地の可能性があるのです。

ちなみに、ギョベクリ・テペ遺跡に見られる石柱の腕の彫刻は、イースター島のモアイ像と似ているという指摘もされています。腕と手の彫刻に注目して見てください。

南米チリの絶海の孤島にあるモアイ像と、遠く離れたトルコにあるギョベクリ・テペ遺跡の石柱が、なぜ似ているのでしょうか?

ただの偶然の一致なのか、あるいは共通の起源を持っているのか、今後の研究課題になりそうです。

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動物の複雑な彫刻

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱には、複雑なレリーフの彫刻が見られます。絵を浮き彫りにするためには、細かい作業を丁寧に施さなければなりません。

思い出してほしいのは、建造されたのは鉄の道具を持たない石器時代だということです。ギョベクリ・テペ遺跡を造った人々は、石器時代に生きながら、驚くほど高い技術力を持っていたのです。

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱の彫刻1

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱の彫刻2

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱の彫刻3

ギョベクリ・テペ遺跡の石柱の彫刻4

石柱に刻まれた動物は、多いものからヘビ、キツネ、イノシシ、鳥の順となっています。

これらの動物は、ギョベクリ・テペ遺跡から出土している動物の骨の多さとは、必ずしも一致していません。このことから、狩猟の成功を祈った神殿ではないようです。

ヘビ、キツネ、イノシシなどは、ユーフラテス中流域の他の遺跡にも認められるため、当時の神話の世界を象徴しているのではないか?と考えられています。

途中で放棄された遺跡の石柱

ギョベクリ・テペ遺跡を造った人々は、燧石(フリント:非常に硬質な岩石の一種)の刃物によって、石灰岩の岩盤から石材を切り出していたと考えられています。

実際に当時の石切場には、何かしらの理由により、途中で放棄された石柱(下写真)が残されています。

石切場に残された石柱

ギョベクリ・テペ遺跡調査チームのシュミット氏は、石柱を1本を切り出して運ぶためには、成人男性で500人くらいが従事したのではないかと推測しています。

しかし、巨大な石を切り出して運搬するために必要なのは、単に労働力だけではありません。多くの人々を統率できるリーダーの存在も必要なのです。

定説では、そのようなリーダーが現れる高度な社会が形成されるのは、ずっと後の時代になりますが、ギョベクリ・テペ遺跡の発見によって、石器時代の社会の見方を変えなければいけなくなりそうです。

この点だけでも、トルコのギョベクリ・テペ遺跡は人類史を覆す大発見なのです。

ギョベクリ・テペ遺跡の石像

トルコのギョベクリ・テペ遺跡からは、人間の石像も発掘されています。2メートル近くもある大きな石像です。

トルコのギョベクリ・テペ遺跡の石像

あまりの古さに、「ギョベクリ・テペ遺跡は、本当に人間が造ったのか?」とも言われていますが、ようやく人の姿を見ることができて、ほっとしますね。

しかし、この石像には、なぜか口のない顔や、V字が描かれた胸の模様などが彫られており、私たちがイメージする石器時代の人々とは全く異なる雰囲気が、ぷんぷんと漂っています。

先祖の石像なのか、当時のリーダーの石像なのか、あるいは彼こそがギョベクリ・テペ神殿の主神なのでしょうか? 見方によっては、宇宙服を着た宇宙人っぽい感じもしますね。

次ページでは、ギョベクリ・テペ遺跡の謎について、まとめてみたいと思います。

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