トルコのギョベクリ・テペ遺跡の謎
トルコのギョベクリ・テペ遺跡について紹介してきましたが、いったい何が謎になっているのか、改めて考察してみます。
前述したように、ギョベクリ・テペ遺跡は、およそ紀元前1万年~紀元前8000年の間に建造されたことが、放射性炭素年代測定によって判明しています。
これは石器時代(後期旧石器時代~中石器時代)に当たります。石器時代といえば、石槍を持った原始人の姿を思い浮かべる人が多いと思います。
ギョベクリ・テペ遺跡は、このような石器時代のイメージを、一気に変えてしまう可能性があるのです。
最古のピラミッドよりも、遙かに古い!
ギョベクリ・テペ遺跡の謎は、まずはその古さにあります。
エジプト最古のピラミッド、ジェゼル王の階段ピラミッド(写下真)でも、建造されたのは紀元前2650年前後です。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡は、エジプト最古のピラミッドよりも7~8千年も昔に建造されているのですから、いかに古いかが分かりますね。
さらに、その隣に位置している未発掘の構造物は、地下のトポログラフィック・スキャンによって、なんと1万4000年から1万5000年前のものであることも分かっています。
そんな古い時代に文明が存在していたなんて、学校で習った覚えはありませんね?
実は、ギョベクリ・テペ遺跡の本格的な発掘が始まったのは1996年からであり、まだ全体の5%しか発掘が進んでいないのです。
今後さらに調査が進めば、歴史の教科書を変える必要が出るかもしれませんね。
なぜ高度な社会が出現したのか?
ギョベクリ・テペ遺跡の謎は、古いだけではありません。人類の文明の成り立ちまで変えてしまうかもしれないのです。
なぜならば、従来の定説では、文明の出発点は農耕にあると考えられてきたからです。
原始的な狩猟採集の社会では、生活が安定しません。農耕を営むことによって、ようやく人々が定住し、大きな社会となり、経済が発展して、文明が誕生するのです。
ところが、ギョベクリ・テペ遺跡を建造した人々は、農耕や畜産を始める前に、高度な建造物を造り上げているのです。これは従来の定説で説明ができません。
ギョベックリ・テペ遺跡の場合、その驚異的な古さだけでなく、何が要因となって高度な社会が出現したのか?についても、大きな謎なのです。
最初から、神の存在がある
近年の研究によると、古代アンデスでは神殿が先に建てられて、神殿を中心にして文明が発展したと言われています。
これは農耕社会の誕生によって、冨を蓄えた権力者が現れ、神殿が建てられていくという定説とは、逆ですね。そもそもの最初から神の存在があるのです。
古代アンデスと同様に、トルコのギョベクリ・テペ遺跡においても、その用途は祭事を行う神殿であった可能性が高いと考えられています。
その証拠に、周辺には人々が暮らしていた痕跡が、ほとんど見つかっていません。近くに水源や耕作地もない丘に建造されている点からも、ここが人々の集落ではないことが分かります。
ギョベクリ・テペの丘は聖地であり、そこに神殿が建てられたと考えられるのです。
農耕社会となり、古い神殿が放棄された?
先に神殿が造られて、そこに人々が集まり、定住するようになって高度な社会が出来上がっていったのならば、ある意味、本当に神が世界を創造したことになりますね。
逆説的に考えれば、神殿に多くの人々が集まって来たために、集団生活を営む手段として農耕や畜産が必要になったのかもしれません。
ちなみに、理由は不明ですが、ギョベクリ・テペ遺跡は1層、2層、3層があり、意図的に埋められた形跡が残されています(だから保存状態も良い)。
古い地層の上に、新しい建造物が積み上がっているわけですが、最期には放棄されているわけです。
これは狩猟社会から農耕社会に変わり始め、新たな神が祀られるようなったことを意味しているのかもしれません。社会が変われば、崇める神も変わるのは当然でしょう。
神殿が埋められた理由は、ひょっとすると宗教戦争が起きて、旧宗派が弾圧を受けた結果なのかもしれませんね。
神はどこから来たのか?
今のところ、ギョベクリ・テペ遺跡には、栽培植物や家畜の痕跡が見つかっていません。このため、人々は1年のうちのいずれかの期間をどこかの村で暮らしていた、という仮説もあるようです。
何しろ、建造されたのは石器時代なのですから、普段は狩猟採集の生活をしており、神殿を建てる時にはどこからともなく人々が集まって来て、作業をするわけです。
そのように考えないと、従来の学説との整合性が取れないのでしょうが、そんな寄せ集めの組織で、ちゃんと神殿を建てられるのでしょうか? ちょっと疑問ですね。
いずれにしても、「彼らの神はどこから来たのか?」という疑問は残ります。古代トルコの地に突如として神が現れて、高度な社会を形成したわけです。
1万年前の超古代文明
ちなみに、アトランティス文明は、伝説上の超古代文明とされていますが、およそ1万年前、大陸ごと海に沈んで滅亡したと伝えられています。
ギョベクリ・テペ遺跡は、そのアトランティス文明とも重なる時代にあるわけですから、こちらも超古代文明になります。しかも、実際に発見されているのです。
そう考えると、人類最古の文明を5~6千年前に限定するのは、本当に正しいのでしょうか?
ギョベクリ・テペ遺跡の発見によって、1万年前に超古代文明が存在していても、不思議ではなくなったのだと思います。
古代宇宙飛行士説
宇宙人が地球に飛来して超古代文明を授けたという「古代宇宙飛行士説」を、一度は聞いたことがあると思います。
もしも宇宙人の乗った宇宙船が、古代にギョベクリ・テペの丘に着陸し、人々がそれを崇めて丘に神殿を建てたと考えたら、どうでしょうか?
鉄もない石器時代に、突如として文明が興ったのは、宇宙人から高度な技術を授かったのだと考えれば説明はつきます。そもそもの文明発祥の要因が、地球外から来たのであるならば、今までの定説で説明できないのも当然ですね。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡は、現代考古学史上・最大の発見と言われています。
石器時代の人々が、なぜ突如として神殿のような建造物を造ったのでしょうか? また、それはどのような神だったのでしょうか?
この謎を考古学が解き明かさない限り、古代宇宙飛行士説も、あながち簡単には笑い飛ばせないのだと思います。