勝五郎の前世が証明される
勝五郎は、両親と祖母に自分の前世の話をすると、「程久保村に行きたい。久兵衛さん(前世の実父)の墓に連れて行っておくれよ」と、懇願するようになりました。
勝五郎の前世の話が本当なのか、両親も確かめてみたい気持ちがあります。そこで祖母つやに、勝五郎を程久保村に連れて行くように言いました。
これによって、以下のように勝五郎の前世が証明されることになります。
前世で生まれた家に行く
祖母のつやは、勝五郎を連れて程久保村に行きました。程久保村(東京都日野市程久保)は、勝五郎が住んでいる中野村(八王子市東中野谷津入)から、6キロほど離れた場所にあります。
交通の便が悪い江戸時代でも、この距離ならば歩いて行ける距離です。
つやが「どの家だろうね」と言うと、勝五郎は「まだ先、まだ先」と、先に立ってどんどん歩いて行きます。
もちろん、勝五郎だって一度も行ったことがないはずなのですが、これは前世の記憶で場所を知っていたとしか思えません。
勝五郎は、ある家の前に来ると、つやに「この家だよ」と言って、構わず駆け込んで行きました。
前世の記憶が確認される
つやが、その家の主人の名前を尋ねると、半次郎だと言います。半次郎は、父の久兵衛が亡くなった後にやって来て、藤蔵(勝五郎の前世)を可愛がってくれた男性です。
妻の名前も聞くと、志津だと言います。
つやは、「この家に藤蔵という子はいませんでしたか?」と尋ねました。すると、「六つの年に疱瘡で亡くなりました」と言います。
驚くことに、すべて勝五郎の言っていた通りだったのです。つやは、勝五郎の前世の話が本当だったと知り、涙がとめどなく流れました。
さらに勝五郎は、向かいの煙草屋の屋根を指して、「以前には、あの屋根はなかった。あの木もなかった」と言いました。それも、実際にその通りでした。
半四郎夫婦も、不思議な気持ちになりました。そして勝五郎を抱きしめ、「六つの時より、声も器量も一段と上がっているじゃないか」と涙しました。
このように、前世の家族がまだ生きている早い時期に、勝五郎の前世の記憶を確認しに行けたことは幸いでした。
勝五郎の転生事件は、世界にも知られる
勝五郎は、その後も幾度か程久保にある半次郎の家を訪ね、念願が叶って、前世の実父であった久兵衛の墓参りもしました。
勝五郎の前世の話は有名になり、村では本名の勝五郎ではなく、程久保小僧(ほどくぼこぞう)というあだ名で呼ばれるようにもなりました。
勝五郎のことは江戸にも知れ渡り、国文学者・平田篤胤(ひらたあつたね)が勝五郎本人や家族に取材し、「勝五郎の転生事件」として書き残しています。
また、日本研究家のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、1897年(明治30年)に発表した随想集『佛の畠の落穂』の中で、「勝五郎の転生」を紹介しています。
この書籍は、アメリカとイギリスでも出版されて、江戸時代に起きた勝五郎の転生事件は、世界にも知られることになりました。
人間は何度でも生まれ変わる
勝五郎は、御嶽様に言われたということで(夢なのかお告げなのかは不明)、「自分は16才に死ぬことになっている。でも、死ぬのは怖いことではない」とも語っています。
人間は何度でも生まれ変わるので、死ぬのは怖くはないという意味でしょう。
しかし、当の勝五郎は16才で死ぬことはなく、55才の1869年(明治2年)まで生きました。ひょっとすると、また現代にも、勝五郎は生まれ変わっているのかもしれませんね。
勝五郎の墓は、東京都八王子市袖木の永林寺に今もあります。
また、中央大学多摩キャンパス内には、勝五郎と祖母が程久保村へ行く時に通ったと思われる道の一部が、現在も奇跡的に当時のまま残されています。
「勝五郎の道」として案内板も出ているので、お近くまで来たら立ち寄ってみてはいかがでしょうか?