現在最古と言われているミイラは、かつて南米に栄えていたチンチョロ人のミイラで、7千~5千年前のものと推定されています。
ところが、今回紹介する美女のミイラは、それを遙かに上回る800万年前のミイラと伝えられています。時間の桁が違いすぎます。
しかも、発見された当初は、青い瞳のヨーロッパ系の顔立ちをした美女であり、まるで眠っているかのようだったと言うのです。現在はミイラ状態になっていますが、最初からミイラとして発見されたわけではないのですね。
この話をそのまま鵜呑みにするわけにもいきませんが、ミイラの画像は公開されています。保存状態も良好で、本物のミイラであることには間違いないと思われます。あまりミイラの話を聞かないロシアで発見されたという点も、興味深いですね。
仮に、もしも800万年前のミイラであるならば、これは人類最大のミステリーです。そんな大昔に人類は存在していないことになっているからです。
現在の学説が間違っているのか、あるいは遙か大昔に地球にやって来た異星人のミイラなのか、様々な可能性を考察してみたいと思います。
800万年前の美女のミイラ、ロシアで発見!
ロシアで発見されたという800万年前の美女のミイラは、「人類最古のミイラ」という形容もできませんね。
人類が誕生する以前のミイラですから、現代の常識で考えると、人類以外のミイラとしか考えられないからです。そもそも、なぜこのような不可解なミイラが発見されたのでしょうか?
美女のミイラが発見された経緯
美女のミイラは、1969年9月、露シベリア連邦管区・ケメロヴォ地区の村で発見されています。炭鉱で採鉱作業をしていた坑夫のカルナウコフ氏が、地下70メートル付近で大理石の奇妙な棺を発見したのが始まりです。
すぐに棺は地上へと引き上げられましたが、棺は正確な機械的構造をしていたということです。蓋はパテで封をされていましたが、太陽熱の影響で溶けて流れてしまったと言われています。
蓋を開けてみると、棺の中には、ピンクがかったブルーの透明な液体が、ふちのギリギリまで溢れそうなどほど入っていました。
さらに驚くことに、棺の中にあったダークブラウンの布で覆われたものを丁寧に剥いでいくと、棺に横たえられた美女が現れたのです。
棺の中に眠れる美女
当時の証言によると、棺に横たわっていた美女は、細身で推定30歳ほど、大きな青い瞳のヨーロッパ系の顔立ちをしていたと伝わっています。
衣服の袖には、色鮮やかな花の刺繍が施され、ひざ下丈の白いレースが透けているドレスを着ており、下着類は身につけていなかったそうです。
頭のそばには、携帯のような角の丸い、約25センチ×10センチほどの黒くて四角い金属の箱が置いてあったと言われています。
注目されるのは、まるで眠っているかのように見えたということです。
つまり、現在では「美女のミイラ」と言われていますが、発見された当時はミイラの状態ではなくて、「棺の中に眠れる美女」だったのです。
謎の美女が発見された後の経緯
「棺の中に眠れる美女」が発見された半日後には、棺の蓋は完全に開けられて、村中の人たちが見学に押し寄せました。
謎の美女発見のニュースは、すぐにケメロヴォ地区の全域に広まります。消防団や軍隊、民兵隊が真偽を確かめにやって来ると、伝染病の恐れがあるとして野次馬たちは遠ざけられました。
事態を重く見た当局は現場を封鎖し、棺に触れた者を始め、近くにいた見物者全員を隔離したと言われています。
しかし、これほどセンセーショナルな出来事であったにも拘わらず、なぜかその後、謎の美女の発見は半世紀近くも人々の話題に上ることがなく、忘れ去られていきました。
美女のミイラが公開される!
長らく忘れ去られていた美女のミイラですが、最近になって、ロシア国内で当時の目撃者インタビューを含む特集が組まれて、美女のミイラが再び日の目を見るようになりました。
それが下の写真のミイラです。
残念ながら、「棺の中に眠れる美女」とは程遠いミイラの姿になっています。棺の中に満ちていたという「ブルーの透明な液体」も取り除かれています。そのたために、ミイラになってしまったようです。
発見から現在に至るまで、詳しい調査は行われた形跡はないとのことですが、本当でしょうか?
1969年当時のロシアは、社会主義のソビエト連邦です。米国とは冷戦状態となって覇を競っており、このような世紀の大発見があったならば、ソ連政府が見過ごすとは思えません。
800万年前の美女のミイラが、本当に発見されていたのならば、重大なことが隠蔽されているのではないか?と疑いたくなりますね。
次ページでは、800万年前のミイラの謎について考察してみます。