世界の七不思議と聞いて、ナスカの地上絵を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
ナスカの地上絵が描かれた時代は、飛行機のない時代です。巨大な地上絵が、いつ頃、どうやって、何のために描かれたのか、考えるだけでも不思議ですね。
実は、ナスカの地上絵の書き方はある程度、解明されています。拡大法という書き方が有力になっています。この方法で地上絵が描けることも、すでに実証されています。
但し、「何のために地上絵を描いたのか?」という最大の謎については諸説あり、どれも定説にはなっていません。これが分からない限り、ナスカの地上絵の謎が解けたとは言えないのです。
当記事では2ページにわたり、なぜ地上絵は消えずに残っているのか?という疑問から、古代インカ人は気球で地上絵を見ていた!という奇説まで、ナスカの地上絵の謎について様々にご紹介します。
古代のミステリーに興味のある人は、ぜひ続きをお読みください!
日本もナスカの地上絵の調査・研究に貢献
ナスカの地上絵の場所は、南米ペルー共和国の首都リマから南に440キロほど離れた乾燥地帯にあります。
地上絵が描かれているナスカ台地は、東西約20km、南北約15kmもの広大な範囲に及んでいます。このため近年になっても、新しい地上絵が次々に発見されています。
初めてナスカの地上絵を発見したのは、アメリカ人の考古学者、ポール・コソック博士です。1939年6月22日、ナスカ川とインヘニオ川の間にあるナスカ台地を、飛行機で飛んで発見しています。
その後、博士の助手であったドイツ人女性のマリア・ライヘ氏が、終生この地に住みついて、ナスカの地上絵の研究を受け継ぎました。
現在では2012年、日本の山形大学が現地に「ナスカ研究所」を設立。世界で唯一、現地の立ち入り調査を認められている研究チームとして、ナスカの地上絵の調査を続けています。
これは同じ日本人として嬉しいですね!
山形大学調査チームが、新たに発見した地上絵
実は、山形大学調査チームによって、ナスカの地上絵が新たに発見されています!
ナスカ台地を撮影した人工衛星画像を、山形大学調査チームが精査してみたところ、新しい地上絵(左の写真:全長約60m)が確認されたのです。後脚があることから、動物を描いた地上絵と推定されています。
また、ナスカ台地の地上調査により、人間の頭部の地上絵(右の写真:約4m×3m)も発見されています。
さらに2015年には、ナスカ市街地近郊で発見した24頭の動物の地上絵を発表しています。まだまだ今後も、数多くの地上絵の発見が期待できそうですね!
さらにナスカで新たな地上絵
2018年5月29日に入ってきたニュースによると、南米ペルーの「ナスカの地上絵」の近くで考古学者らがドローンによる調査を行ったところ、地上絵が新たに25個以上も見つかったそうです。
サルや女性の踊り子などが描かれており、ネットでも「可愛すぎる!」と話題になっています。何のために描かれたのか気になりますね。
場所は、地上絵が発見されたナスカ台地から、北に20キロ離れた町パルパのようです。ナスカ文化の数百年前に栄えたパラカス文化のものと見られています。
ドローンならば気軽に調査ができるので、まだまだ新しい地上絵の発見がありそうですね!
こちらはナスカ文明の時代の土器に描かれている絵です。こちらも可愛いですね! 現代にも通じるセンスを感じます。
ナスカの地上絵の謎とは?
ナスカの地上絵はいつ頃、どうやって、何のために描かれたのでしょうか? 以下、ナスカの地上絵の謎について考察してみます!
ナスカの地上絵はいつ頃、だれが描いたのか?
ナスカの地上絵は、紀元前1世紀~紀元後7世紀頃、ナスカ文化を築いた古代インカ人が描いたとされています。
推定される年代は、資料によって多少の前後が見られますが、こちらは前述したナスカ研究所の最新調査に基づく推定年代になるので、より正確と思われます。
ナスカの地上絵が描かれていた時代は、日本の時代で言うと、100以上の小国があったという「倭(わ)」の時代(弥生時代の中頃)から、壬申の乱(672年)が起きた飛鳥時代の終わり頃に当たります。
卑弥呼、応神天皇、蘇我馬子、聖徳太子などが生きていた時代、地球上で日本のほぼ反対側にある遠いナスカでは、せっせと地上絵が描かれていたわけです。
そんな昔に地上に描かれた絵が、今も残されているなんて不思議ですね。
ナスカの地上絵は、なぜ消えないのか?
古いのものでは2千年以上も前に描かれているのに、ナスカの地上絵は、なぜ消えないで今も残っているのでしょうか?
その理由の一つは、気候です。この地帯は1万年以上にわたって年間雨量がわずか5ミリという、雨がほとんど降らない乾燥地帯にあります。雨風の影響をほとんど受けないので、現在もナスカの地上絵が残されているわけです。
また、山形大学の「ナスカ研究所」の調査によって、消えにくい場所を選択して地上絵を描いていることも分かりました。これは人工衛星画像および地形図等の分析により判明したそうです。
古代インカ人が、どのようにして「消えにくい場所」を選別したのか、それも不思議ですね。長年の経験則なのか、あるいは独自の調査法を確立していたのでしょうか?
しかし、ナスカの地上絵の保存について現在、新たな問題が生まれています。
道路の建設による地上絵の寸断、車の走行による砂埃、ハイウェイを出て近道を抜けて走るトラック、4WD車の無謀な走行、車からポイ捨てされるゴミなどによって、地上絵の破壊が懸念されています。
自然作用による風化よりも、人間による破壊のほうが心配ですね。
ナスカの地上絵は、1994年に世界遺産に登録されていますが、人類の偉大な遺産として、今後も千年、2千年と末永く保存していきたいものです。
地上絵の近くに開通された道路
地上絵のこんな近くに道路が開通しています。地上絵があるとは知らずに道路を通してしまったために、一部が消えてしまった地上絵もあります。
車からポイ捨てされたゴミ
山形大学の研究チームが、調査の合間に15分ほどまわりのゴミを拾ってみたところ、あっという間にゴミ袋がいっぱいになってしまったそうです。現地でのゴミ問題は深刻のようです。
ちなみに、地上絵を破壊しないよう、特別な靴を履いているのがお分かりでしょうか? 調査においても、ナスカの地上絵の保全には細心の注意を払っています。
ナスカの地上絵の書き方は?
ナスカの地上絵の大きさは、小さなもので20メートル程度、大きなものでは300メートル程もあります。
これらの絵は、地上から見ても何が描かれているのか、さっぱり分かりません。絵の大きさにもよりますが、20メートルの高さ(ビルで5~7階の高さに相当)から見て、ようやく分かる程度なのだそうです。
地上からは見えない絵を、どのようにして書いたのか?という大きな疑問がありますね。でも実は、ナスカの地上絵の書き方については、ほぼ解明されています。
ナスカ台地の表面は、小さな石で覆われています。その下には白い地表が隠れているので、小石を取り除けば、白い大地が剥き出しになります。これが線になって、上空から見ると絵になります。
その絵が余りにも巨大だという点が問題なわけですが、前述した地上絵の女性研究家マリア・ライヘ氏は、杭とロープを使った拡大法で描いた可能性が高いと述べています。
これは縮小して描いた下絵をもとにして、その中心に基点を定め、そこから等倍に伸ばしていく方法です。実際に500年頃の杭が発見されていることからも、拡大法が妥当な説と考えられています。
こちらは、ナスカの地上絵は、拡大法を使えば小学生でも描けるということを実践したみた動画です。校庭にジバニャンの地上絵が描かれています。
ナスカの地上絵の種類は?
ナスカの地上絵は、よく知られているサルやハチドリ、クモなどの動物の種類を描いた絵が70点以上あります。
その他の種類として、図形などの幾何学模様が7百点あります。単純な直線を書いた地上絵まで含めた全種類になると、ナスカの地上絵は数千~1万点にも及ぶと言われています。
2012年より、日本の山形大学が現地にナスカ研究所を設立し、調査チームが次々に新たな地上絵を発見しているので、確認されている地上絵の数は今後も増え続けるでしょう。
これらの中には、「宇宙飛行士」と呼ばれている地上絵や、片手が4本指の「手」など、不可解な種類の地上絵も描かれています。
このため、ただでさえ謎を秘めたナスカの地上絵に、さらにミステリアスな要素が加わっています。
ナスカの地上絵:宇宙飛行士
「宇宙飛行士」と呼ばれる地上絵です。こちらは平地ではなく、なぜか山の斜面に描かれています。大きさは約40メートルです。地上絵としては小さなほうですが、興味深い姿をしていますね。
ナスカの地上絵:4本指の片手
片手が4本指になっていますが、何の絵でしょうか? 体は鳥のようにも見えますが、よく分かりませんね。約50メートルあります。
ナスカの地上絵は、宇宙人へのメッセージか?
ナスカの地上絵の全体像を、ちゃんと確認するためには、セスナに乗らなければ分かりません。
このため、飛行機のない時代に、「何のためにナスカの地上絵は描かれたのか?」ということが、最大の謎となります。
ナスカの地上絵の存在を有名にしたスイスの古代史研究家エーリッヒ・フォン・デニケンは、「地上絵は、高度な文明を授けて去って行った宇宙人を呼び戻すために、その宇宙船の着陸跡を古代インカ人が真似て描いたもの」と、宇宙人の関与を指摘しています。
この見解は、もちろん、主流の研究者たちには受け入れられていません。
ただ、何のために描いたのか?と考えると、宇宙人の存在を持ち出したくなる気持ちも理解できます。描いている本人たちさえ確認できない巨大な地上絵を、苦労して描く意味などないからです。
でも、ここに現代人の大きな思い込みがあるのかもしれません。当時のナスカの人々は、本当に地上絵を確認する方法を持っていなかったのでしょうか?
次ページでは、ナスカの人々は気球に乗って地上絵を見ていた!という奇説をご紹介します。あまり聞かれない話ですが、これは実際に検証もされているのです。