ナスカの人々は、気球に乗って地上絵を見ていた!
「なぜ地上絵が描かれたのか?」という最大の謎については、マリア・ライヘ氏は天文カレンダー説を唱えました。しかし、天体の運行と一致する地上絵の数が、実際にはあまりにも少ないために、現在では支持を失っています。
他には、雨乞いなどの宗教的儀式のための歩道説、地下水の場所を示すマーク説、社会事業説などがありますが、どれも定説になるまでには至っていません。
けっきょくのところ、「空を飛べなかった時代に描かれた地上絵」という前提を見直さない限り、この謎は解けないのではないでしょうか?
実は、当時の人々は、気球を飛ばしていたのではないか?という説もあるのです。
古代のインカ人は、飛行技術を持っていた?
2千年も昔の古代インカ人が飛行技術を持っていたと聞いて、「そんなはずがない!」と思うのが普通でしょう。でも、全く根拠のない話ではありません。
まず最初に考えてみてほしいのですが、地上絵を描く技術は持っていたとしても、実際には誰も確認できないような絵を、幾世代にもわたって描き続けるでしょうか?
仮に、当時のある王様が、神からの啓示を受け、巨大な地上絵を描く公共事業を始めたとします。でも、自分たちでは見られないのならば、そのような事業を継続するのは困難です。
「おそらく神様には見えているのだろう」では、多くの人々の気持ちが奮い立ちません。誰一人として確認もできないのならば、本当に絵として成立しているのかどうかも不安になってくると思うのです。
じかし、実際には、およそ800年にもわたって、連綿と地上絵が描き続けられているわけです。
全ての人たちには見られないとしても、王族や神官などの階級に属する人たちは、空から地上絵を見ることができたのではないでしょうか?
熱気球でも空は飛べる!
地上絵を見るだけならば、飛行機は必要ありません。熱気球でも、充分な高さまで上昇できます。
ちなみに、世界で初めて熱気球の有人飛行を成功させたのは、フランスのモンゴルフィエ兄弟だと言われています。
1783年11月21日の飛行実験では、2人の人間を乗せた気球が910メートルほど上昇し、パリ上空の9キロの距離を25分間にわたって飛行しています。
熱気球の原理そのものは簡単です。熱した空気を、袋の中に送り込んで浮上させるだけです。モンゴルフィエ兄弟も、煙突から立ち上る煙を見て、熱気球のアイデアを得ています。
2千年も前の古代人たちが、空を飛べるはずがないと決めつけるのは、現代人の偏見ではないでしょうか?
彼らは火も使えないような原始人ではないのです。熱した空気が浮力を持つことくらい、観察していれば子どもでも分かります。
「空を飛ぶ=飛行機」と考えると、有り得ない話だと思ってしまいますが、実際には原始的な熱気球でも空は飛べるのです。
大量の高密度の布が発見されている
実は、ナスカの遺跡や墓からは、大量の布が発見されています。この布を分析してみると、軍事用のパラシュート以上の高密度の布であることが分かりました。
ナスカ地方には、空気を逃さないほど目がぎっしり詰まった織物の技術が伝わっているのです。また、チチカカ湖周辺では、軽くて強固なバルサ材が採取できます。
これに着目した国際探検協会のジム・ウッドマン氏は、「気球を飛ばして地上絵を見ていたのではないか?」と考え、当時の材料と技術だけで気球を作りました。
1973年に行われた飛行試験では、その気球は130メートルの高さまで上昇したのです。この高度ならば、地上絵は見られますね。
ウッドマン氏は、「ナスカでは気球による葬式が行われ、地上絵はその死者に捧げる贈り物」という見解を述べています。
ナスカには太陽信仰があり、気球で天に帰った偉大な王たちに捧げたものが、地上絵であるということです。
気球に乗って地上絵を見ていた可能性はある
ウッドマン氏の見解では、葬式に気球が使用されたとのことですが、当時の人々が、気球に乗って地上絵を見ていた可能性が出てきましたね。
実際に、気球説を裏付けるかのように、高密度の布が大量に発見されているわけです。但し、気球の技術は後世に伝わっていないので、学説として証明されているわけではありません。
技術が継承されなかった理由は、やがて地上絵が描かれなくなると、気球を飛ばす意味がなくなったからではないでしょうか?
ニーズがなくなれば、どんな技術でも廃れてしまいます。もしも気球がその後、空の交通手段として発達していたならば、後世にも継承されて、今とは異なるアンデス文明が開花していたのかもしれません。
しかし残念ながら、空の上から地上絵を眺められる程度の技術で、終わってしまったのだと考えられます。
気球の原型は、アトランティスの飛行船か?
ナスカの地上絵は、飛行機のない時代に、空からしか分からない地上絵がなぜ描かれたのか?ということが最大の謎でしたが、当時に気球を飛ばしていたならば解決します。
仮に、この気球説が正しいとすると、気球の原型となった何かがあったのではないでしょうか?
今から1万2千年ほど昔になりますが、かつて大西洋上にはアトランティス大陸が存在していたという伝説があります。
アトランティス人たちは高度な文明を持っていたのですが、ある日、一夜にして大陸が海中に没してしまう滅亡を迎えてしまいます。しかし、かろうじて飛行船に乗って逃れた人たちがいました。
一方はエジプトへ飛んでエジプト文明の祖となり、一方は今のペルーの地に降り立ち、その末裔たちが、アンデス文明を築きました。
もちろん、これは文献に残っている話ではないので、仮の話です。しかし、こんな話を想像させるような伝説は残されています。
エジプト神話では、太陽神ラーは船で天空を渡る存在とされています。
また、南米ペルーのインカ神話には、コンドルコト山の頂上に5つの大きな卵が出現し、その中の一つにいたパリアカカと呼ばれる創造神の話が伝わっています。
天空を渡る太陽神ラーの船や、コンドルコトの山頂に現れたという大きな卵は、アトランティスから逃れて来た人々の飛行船ではないか?と想像できなくもありませんね。
彼らは空からやって来て、アトランティス文明の高度な知識や技術を持っていますから、当時の現地人には神に見えたことでしょう。
ナスカの人々は、かつて神々たちが空を飛んでやって来たという伝説から、気球を飛ばすアイデアを得て、神々や祖先を祀るために地上絵を描いたのかもしれません。
これは宇宙人の関与説と同様、トンデモ説でしょう。でも、もしもアトランティス大陸が本当に存在していたならば、あながち突飛な話ではなく、今の学説では証明できないだけかもしれません。
まだナスカの地上絵の謎は完全に解けていないのですから、常識に囚われず、様々な仮説を考えてみることは許されるのだと思います。