米軍がロサンゼルス上空に飛来したUFO編隊を攻撃したという、信じがたい事件をご存知でしょうか?
これは「ロサンゼルスの戦い」「ロサンゼルス空襲事件」「ロサンゼルス決戦」などと呼ばれ、UFO事件史の中でも特異な事件として伝えられています。
但し、「戦い」と言っても、一方的に攻撃を仕掛けたのは米軍であって、UFOからは一発の反撃もありませんでした。
米軍が1430発もの集中砲火を浴びせたにも拘わらず、戦いの上では何も起きなかったという、非常に不可解な事件なのです。
UFOの正体は未だに謎とされていますが、当記事では「ロサンゼルスの戦い」の真相について改めて考察してみます。
「ロサンゼルスの戦い」は本当にあったUFO事件
米軍がUFOを攻撃したという「ロサンゼルスの戦い」が起きたのは、第二次世界大戦中の1942年のことです。今から70年以上も前のUFO事件になります。
UFO事件史の中でも特異な事件なのですが、数千人もの目撃者がいる点でも希有なUFO事件でしょう。これだけ多くの目撃者が存在すると、よく言われる集団幻覚などでは説明が付きません。
「ロサンゼルスの戦い」は、歴史に記録されている本当に起きた事件なのです。
ところが、このような事件であっても、ただの観測気球の見間違えやレーダーの誤動作であったと解釈して、簡単に事件を片付けてしまう人もいます。
あたかも謎解きがされたかの如く、「解決済みの事件」としているわけですが、本当にそれで正しいのでしょうか?
「ロサンゼルスの戦い」の経緯
世界で最初のUFO事件と言えば、1947年6月24日に起きた「ケネス・アーノルド事件」が有名です(ケネス・アーノルド事件が起きた6月24日は、「UFOの日」にもなっている)。
しかし、ケネス・アーノルド事件が起きる5年も前に、ロサンゼルス上空にUFO編隊が襲来し、米軍が狂ったように集中砲火を浴びせた大事件が起きていたのです。
後に「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれるようになったUFO事件の経緯について、以下、分かりやすくご紹介します。
日本軍の空襲に怯えるアメリカ
「ロサンゼルスの戦い」が起きた1942年は、第二次世界大戦に突入してから三ヶ月ほどが経った戦火にありました。
事件が起きる二日前には、日本海軍の潜水艦がロサンゼルス市の北方にあるサンタバーバラの2.3キロ沖に浮上し、エルウッド石油製油所を20分間にわたって砲撃するという戦いが起きています。
▲エルウッド石油製油所を砲撃する日本帝国海軍・伊号第一七潜水艦
日本海軍の砲撃を受けたアメリカ国民は、次には、いよいよ日本軍の本土空襲と上陸があるのではないかと怯えて、極度の緊張状態にありました。
米軍がUFOに砲撃を開始!
アメリカ国民が日本軍の空襲を恐れる中、1942年2月25日午前1時44分、ロサンゼルス市にある陸軍の防空レーダーが、西方120マイルの地点に飛行物体を感知します。
そして午前2時25分には、空襲のサイレンがロサンゼルス中に鳴り響きました。
午前3時16分、海から侵入してくる未確認飛行物体に、遂に米軍が砲撃を開始します。これは「ロサンゼルスの空が、まるで爆発した火山のようになった」と言われるほどの凄まじい攻撃となりました。
▲謎の飛行編隊を捉えたサーチライトと、米軍の激しい砲撃
目撃者の証言
米軍のレーダーに捉えられた飛行物体は、地上の人々からは赤や銀に発光しているように見え、空中に留まって停止することもありました。
その後、UFO編隊は内陸部に向かって移動し、カルバーシティ上空でサーチライトに捉えられています。
それから、時速75キロのスピードでサンタモニカの海岸まで進んでから南下し、ロングビーチに向かったところで見えなくなりました。
以下、当時の目撃者、ポール・T・コリンズ氏の証言です。
(UFOは)どこからともなく現れて、空いっぱいにジグザグ飛行をした。姿を消したものもあったが、輝きが減ったり徐々に薄くなったのではなく、突然夜空に姿を消した。
(ほかのUFOは)30から40機が交差したり追いかけっこをしたりしていたが、あまりにも速く動き回るので正確な数は数えられなかった。
また、他の目撃者は、以下のように述べています。
6個から9個の白い発光体が編隊を組んで、じりじりするほど、ゆっくりと移動していた。自分たちが引き起こした大騒ぎに気付いてもいないような感じだった。
目撃者たちからの証言によると、当時のロサンゼルス上空には少なくとも2タイプのUFOが出現し、猛スピードでジグザグに飛行するUFOと、編隊を組んでゆっくりと移動するUFOがあったようです。
次頁では、「ロサンゼルスの戦い」の真相について考察したいと思います。