「古代に核戦争が起きていた!」と聞いて、信じる人はどれだけいるでしょうか? 嘘か本当か、過去に人類は核兵器で何度も滅亡していると言うのです。
その根拠として、古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』には、核戦争を描写したとしか思えない記述が残されています。また聖書や仏典にも、古代に核兵器を使用したと思われる記述があります。
さらに、実際に核戦争が起きた痕跡が見られる遺跡として、インダス文明のモヘンジョダロ遺跡などが挙げられています。
常識では、古代に核兵器が使用されたなんて考えられませんが、なぜこのような古代核戦争説が唱えられているのでしょうか?
現代に残されている伝承や、遺跡に残されている痕跡から、古代核戦争説の根拠を考察してみます。
古代インドの叙事詩に見られる核戦争
古代に核戦争が起きていた根拠として、よく引用されているのが、古代インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』です。
『マハーバーラタ』は、古代インドの王族間の争いの物語です。成立は5世紀頃ですが、それよりも古い紀元前に起きた戦争の口伝を、集成したものと考えられています。
『ラーマーヤナ』は、伝説の英雄・ラーマ王子の武勇伝です。物語の成立は3世紀頃ですが、マハーバーラタと同様に、紀元前から伝わる口承が元になっていると考えられています。
どちらの物語にも、古代に起きた核戦争を思わせる記述が見られるのですが、その問題の箇所をご紹介します。
『マハーバーラタ』に見られる古代核戦争の記述
まずは、『マハーバーラタ』に見られる記述です。
アシュヴァッターマンは、その言葉に烈火の如く怒り、戦車の上で丁寧に口をすすぎ、煙のない炎のような輝きに満ちたアグネーヤ(火神の武器)を、マントラ(真言)とともに発射した。
それは太陽を1万個集めたほど明るく、輝ける炎と雲のそそり立つ柱となって、巨大な死をもたらす鉄の稲妻と呼ばれる未知の兵器だった。
……死体は見分けが付かないほど焼ただれ、髪の毛と爪は脱け落ちてしまった。器は外から力を加えないのに壊れてしまった。
鳥は白くなっていた。数時間後、食物はすべて腐ってしまった。
第7巻「ドローナの死」より
アシュヴァッターマンとは、物語の主役であるパーンダヴァ兄弟と対立する勇敢な戦士です。その彼が、敵を攻撃するために、アグネーヤ(火神の武器)という未知の武器を発射しています。
記述にある「輝ける炎と雲のそそり立つ柱」は、核兵器のキノコ雲を想像させます。また、「鉄の稲妻」に攻撃された死体の被害の様子は、広島・長崎の原爆被害者を思い起こさせますね。
これを読むと、アシュヴァッターマンが発射したアグネーヤは、「まるで核兵器のようだ」と誰もが思うのではないでしょうか?
『ラーマーヤナ』に見られる古代核戦争の記述
次は、『ラーマーヤナ』に見られる記述です。
その羽根には風があり、その矢尻には火と太陽があり、その体は天空から構成され、その重さはメール山とマンダラ山の2つの山ほどである。
それは宇宙期の終末の時の煙を伴った火のようであり、火を吐く毒蛇のようであり、人間・龍・馬群の破壊を瞬時に行うものであった。
それは雷電の威力をそなえ、恐ろしい音をたて、さまざまな戦闘に敵を破壊し、すべてのものを震え上がらせる恐るべきもので、蛇のように息づいていた。
第108章「梵天の武器によるラーヴァナの死」より
一説では、『ラーマーヤナ』に登場する王都ランカーとは、次ページで紹介する「モヘンジョダロ遺跡」を指しているのではないかと言われています。
その根拠は、王都の「ランカー」とは、サンスクリット語で「島」の意味であり、モヘンジョダロはインダス川流域にあって島のごとき地形になっているからです。
王都ランカーは、決戦の場所になっています。「火を吐く毒蛇」とは、すなわち核兵器のことなのでしょうか?
仏典に見られる古代核戦争の記述
実は、古代インドの叙事詩の他に、仏典の『月蔵経(がつぞうきょう)』にも、核兵器の使用を思わせる記述が残されています。
是の時、須臾の間、大地が揺れ動き、空中で耳を聾(ろう)さんばかりの大きな音を出し、各所に被害をもたらす。数百、数千にものぼる火の手が上がり、空中に留まっている。
その時、空中で大きな音がして大地が震える。全ての物が巻き込まれ広がりゆく有様は、水面の波紋とそっくりだ。市街の壁は崩れ落ち、家屋は大小を問わず倒壊し、樹木は根こそぎにされる。
月蔵経は、釈迦牟尼が入滅した以降の「末法の世」を予言したお経と言われていますが、過去に起きた古代の核戦争を伝えているという見方もあります。
水面の波紋のように、空中で起きた爆風が全ての物を巻き込んで広がっていく描写が、生々しいですね。
なぜ原始的な火薬兵器すら知らない古代の人々が、まるで核兵器の恐ろしさを経験したかの如く、このような生々しい描写ができたのか不思議です。
聖書に見られる古代核戦争の記述
東洋だけでなく、西洋の聖書にも、以下のように古代核戦争を想起させる記述があります。
主は硫黄と火とを、主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
しかしロトの妻は後ろを顧みたので「塩の柱」になった。アブラハムは朝早く起き、先に主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、及び低地の全面を眺めると、その地の煙がかまどの煙の様に立ち上っていた。
「ソドムとゴモラ」(ジョン・マーティン画)
人々が堕落し、退廃していたソドムとゴモラの都市が、神の裁きによって滅亡したという話を、聞いたことがあると思います。上の記述は、旧約聖書の『創世記』19章に登場します。
天からの「硫黄と火」とは、核兵器であったという見方です。ロトの妻は「塩の柱」になったとありますが、これは核兵器によって瞬時に焼かれた遺体を描写したものとも考えられます。
以上、古代インドの二大叙事詩、仏典、聖書の中から、核兵器の使用を思わせるような記述をご紹介しました。
もちろん、あえて核兵器を持ち出さなくても、落雷や火山噴火、隕石落下などの自然災害でも説明が付くという解釈もあると思います。
また、そもそも記述にある出来事は、現実に起きたことではなく、古代人の空想の産物だという見方もあるでしょう。
そこで次ページでは、これらの文献だけではなく、モヘンジョダロ遺跡に残る古代核戦争の痕跡を考察してみます。