平安時代の様子
マグロジュースさんが生きていた平安時代は、どのような世の中だったのでしょうか?
残されている文献や資料で知ることはできますが、当時の人たちが本当に肌身で感じていたことは、今となっては分からないものです。
そこでマグロジュースさんの記述を元にしながら、平安時代の様子を具体的にご紹介します。
平安時代の美人とは?
美人像は時代によって異なりますが、平安時代の美人とはどのような女性でしょうか?
オカメ顔のぽっちゃり系がモテるのは本当です、今みたいに痩せている人が良いなんて感覚は1ミリもありません。真逆です。
芸能人はみんな痩せているので中々難しいですね…浅田真央さん、剛力彩芽さん、を、太らせた感じです。皇族の秋篠宮姉妹のような丸顔も美人です。
平安女子はお菓子いっぱい食べても太るのを気にしなくて良いので食べるのが好きな人が多い。食欲あっても隠さなくてOKです。そんな事する意味が無いです。
やはり、平安時代は「オカメ顔のぽっちゃり系」が美人だったという話は本当だったようです。浅田真央さんや剛力彩芽さんを太らせた感じというのは、イメージしやすいですね。
餓死する人が普通にいる時代ですから、太っている女性のほうが高貴な印象を与えたのかもしれません。平安時代の女性はダイエットする必要などなかったのです。
「ぽっちゃりした女性のほうが好き」という男性は、平安時代に生まれた過去世があるのかもしれませんね。
また当時は性に対して、おおらかだったようです。現在のようなタブーはなく、これはお坊さんも例外ではありません。
マグロジュースさんは衆道(男色)についても語られています。稚児(男色の相手方となる少年)は、アイドル的な存在だったそうです。
今でいうBLの冊子なども平安時代には大量に出回っていて、お坊さんも読んでいたそうです。
平安時代の人間関係
現代は核家族化が進んで、生まれる子どもの数も少なくなりました。また都会では、隣人のこともよく知らないというのは珍しくありません。
今から1,000年も昔の平安時代は、どのような人間関係だったのでしょうか?
まず昔は人と人との心の距離が近かったです。今みたいに心の距離が離れた寂しい付き合い方をするのは宮中くらいで、友達や家族はちょっと風邪ひいたくらいでも死んじゃいますし一つの季節が終わるごとに誰かしら亡くなってます。
だから今より情の結びつきは強いですねほんとに。
昔は出会える人数が限られた中で、その身近な人たちも簡単に亡くなってしまうため、心の距離が近かったというのは分かりますね。
現在はネット社会になり、世界中の人々が一瞬で結び付くという、かつて人類が一度も経験していない時代になっています。でも逆に言えば、心の距離はますます離れているのかもしれません。
ネット上で平気で人を批判し、汚い言葉で罵倒できるのは、顔を合わせたこともない相手だからでしょう。そして自分は安全な場所に身を置いて、顔も名前も隠せるわけです。
心の距離は離れていても殺伐としますし、くっつき過ぎていても窮屈になるので、難しい問題ではありますね。
また、現在の日本は超高齢社会になっていますが、平安時代は子どもばかりだったとのことです。
朝になると子どもたちが沸いて出てくるような状態で、畑仕事も半分以上は子どもたちが手伝っていたそうです。今は畑仕事をしているのは高齢者ばかりで、若い人は見ませんね。
マグロジュースさんは、バイクが好きなのだそうですが、田舎をでツーリングしていると、昔の賑わいを思い出して寂しい気持ちになるそうです。
平安時代のギャグ
今のテレビはお笑い芸人が人気になっていますが、平安時代には、どのようなギャグがあったのかも興味がありますね。
山門のギリギリんとこまでみんなフザけてて入った瞬間から急にシャンとするやーつ!
ガキ使の笑ってはいけないシリーズで敷地入った瞬間から笑っちゃダメみたいな感じで…そこでひと悶着あったりするじゃないですか。
あんな感じです。山法師の人達大好きだったんですけど面白い人多くて笑いのセンスは神がかってます、野性爆弾くっきーとか千鳥大悟とかバッドナイス常田さんみたいな人がいっぱい居ると思ってください。
お坊さんの旅は粛々としてありがたみが深い物だと思われがちですが、道中暇だし子供や若い人が多いので結構ふざけてわいわいしてました。
現存の資料だけでは窺い知れない当時の笑いが、ありありと伝わってきますね。これはその時代に生きていた人間でないと、語れない内容だと思います。
山門を抜けると聖域に入るので、ふざけたり笑ったりしてはいけないわけです。だからこそ、ちょっとのことでも、余計に可笑しくなってしまうんですね。
平安時代の僧や山法師も、現代に通じるお笑いのセンスを持っていたということです。1,000年前といっても同じ人間ですから、当然と言えば当然ですね。
京都の町と、山岳部の違い
花山天皇は、平安時代の京都の宮中で生まれ育ちましたが、天皇を退位して出家した後は、山の上の寺で暮らし、旅暮らしも多かったようです。
京都の町と、山岳部では、ずいぶんと環境が違ったようです。
まず、人間が違います。宮中の公家たちは、聞き取れないようなひそひそ話で話し、本心も何を考えているのか分からない腹黒い人たちばかりだったようです。
平安時代は、今よりもおおらかな人間関係で、心の距離が近い時代ですが、政争に明け暮れていた宮中の人たちは違ったようですね。
ただ、花山天皇を育てくれた女官たちは、20人ほどいたようですが、宮中の中でもこの人たちだけは本当に献身の気持ちで世話をしてくれたようです。
花山天皇は、幼少時から次の天皇になることが決まっていた皇太子ですから、大事に扱われたということもあるのでしょうが、家族よりも身近で愛情深い女性たちだったようです。
マグロジュースさんは、この人たちには今でも感謝の気持ちを持っています。
環境については、どうでしょうか? この点について、マグロジュースさんは下記のように書いています。
(当時の)京都はハッキリいって汚いです。汚い恰好の人も汚い犬もめっちゃいます、大河ドラマの清盛で不潔な都が出てましたけどあれは近いです。
綺麗な人と汚い人の差が激しい。湯船に浸かるような風呂は入ってないですね、ていうか水汚いし。
山岳部の人は逆にとても清潔です、まず水が綺麗なのでちゃんと水で体洗いますし温泉とかも入ります。変な臭いとかしません。猿ですら綺麗です。
平安時代の京都の町は、排泄物も垂れ流し状態で不潔だった聞いたことがありますが、本当だったようですね。逆に山岳部は、猿ですら綺麗だったというのはリアリティがありますね。
花山天皇にとって、京都は嫌な思い出が多いトラウマの残る町であり、マグロジュースさんは出家してからが本当の人生の始まりだったと述べています。
生まれさえ良ければ幸せになれるわけでもなく、人生は単純ではないのですね。
マグロジュースさんの過去世の時代を紹介してきましたが、「当時の資料を読んで、適当に書いているだけじゃないの?」という疑問はあると思います。
いよいよ最終ページでは、過去世についての見解を述べてみたいと思います。