生まれ変わりの話は本当か?
本当に生まれ変わりはあるのでしょうか? 個人的には、マグロジュースさんが書いている内容は、信憑性の高い過去世の事例と考えています。
もちろん、信じられない人がいるのも当然だと思います。生まれ変わりは、今の科学で証明されていないからです。
ただ、証明できないから嘘だとは限りませんね。「まだ科学では解明されていないだけ」かもしれないのです。
言葉を思い出せないのはおかしい?
マグロジュースさんも、過去世の記憶を全て思い出せるわけではありません。特に当時の言葉や地名・人名については、よく思い出せないそうです。
これについて、「言葉を思い出せないのはおかしい」という批判も出ていますが、そうでしょうか?
英語だって、使わなければどんどん忘れていきます。これは海外で働いていた経験がある人でも同じです。長く使っていなければ、言葉は忘れてしまいます。
また、昔に行った場所の景色はよく覚えていても、どこの場所であったのか、はっきりと地名を思い出せないことは普通にありませんか?
人間の記憶は、言語よりも、視覚的な印象のほうが長く残りやすいのです。マグロジュースさんも、人の顔や景色はよく覚えていると言っています。
考えてみてください。マグロジュースさんの記憶は、1,000年も昔の出来事であり、しかも過去世の記憶なのです。言葉や地名・人名を思い出せなくても、不思議ではありません。
むしろ、思い出せないと正直に述べているところに真実味を感じます。
平安時代にも、そば料理はあった
マグロジュースさんは、平安時代の当時に好きだった食べ物として、そばを挙げています。
(好きだった食べ物は)山芋と、そばです。今も昔も好きですが、山芋は薄く切って焚火で焼く、そばはこねた奴をちぎって汁物で食べるのが平安田舎流です。「そばがき」って奴です。
これについて、「平安時代にそばを食べる習慣はないので、おかしい」というような批判もけっこう出ました。
しかし実際によく調べてみると、平安時代にも、そば料理があったことを覗わせる文献が残されていました。
そば料理の初見 – 平安時代中期 – 史料 https://t.co/l472zk2H16
突然またすみません、記憶にあって散々否定されてました平安時代のそば食についてなんですけど資料らしきものを発見しました。具体的に書かれているのでこれ間違いないと思います。そばの餅のような?物の可能性が高いとのことです。— マグロジュース (@magurojuice) 2018年3月6日
少なくとも、そばに対する批判は当たっていなかったことになります。歴史については、後から資料が発見されることがあるので、現在言われている常識が必ずしも正しいとは限りません。
エネルギー保存の法則
人間は死んだら、どこに行くのでしょうか? 肉体は、自然の土に還元されていきます。
では、心や精神と言っても良いのですが、その思考エネルギーともいうべき存在は、死んだら消えてなくなってしまうのでしょうか?
「エネルギー保存の法則」と呼ばれる、あらゆる自然現象を支配する法則があります。エネルギーは別のものに変換はされても、ゼロになって消えることはないという法則です。
この法則によれば、人間の心も消えてなくなることはない、ということです。目には見えなくても、思念エネルギーは残されるのではないでしょうか?
それを「魂や霊」と呼ぶと、途端にオカルト扱いされてしまいますが、魂の存在は物理学の基礎法則にも矛盾していないのです。
生まれ変わりの仕組みは、魂が霊界に留まり、しばらく時間を置いてから、別なものに変換(異なる人生)されて生まれて来るのだとも考えられます。
少なくとも、魂がゼロになって、消えることはないのです。
生まれ変わる意味は?
生まれ変わりがあるとするならば、なぜそのような仕組みがあるのでしょうか? これは、「何のために人間は生まれてくるのか?」という疑問と、同じですね。
憶測するしかありませんが、やはり意味があって、人間は何度も生まれ変わると考えたほうが良いのではないでしょうか?
その目的は、魂の向上なのだと思います。人間は生まれ持って、「向上したい!」という強い意思を持っています。これは最初から魂に組み込まれているとしか思えません。
何の向上も望まないという人もいるかもしれませんが、その人も、昔はそうではなかったはずです。モテたい、金持ちになりたい、幸せになりたいという気持ちだって、向上心の表れです。
しかし、一度の人生だけでは、向上にも限界があります。だからといって、ずーっと不死の人生でも、変化が乏しくなって停滞してしまいます。
たった数十年の一回限りの人生と思うから、「より素晴らしく生きたい!」と人間は願うのではないでしょうか?
環境を変えて、何度も生まれ変わることで、効率よく魂を向上できる。これが生まれ変わりの大きな意味なのだと思います。
そうなると、「そんな仕組みを作ったのは誰?」という根源的な疑問も出て来ることになりますが、もしもそのような存在がいるとするならば、神と呼ぶしかありませんね。
多くの人に過去世の記憶がない理由
しかし大多数の人には過去世の記憶がありません。それは、なぜなのでしょうか?
恐らく、過去世の記憶があると、かえって邪魔になるからなのだと思います。
例えば、今の奥さんが前世では母親だったと知ったら、やりにくいです。自分の子どもが、過去世では恩師だったと知っても、ちょっと叱りにくいですね。
ピアノを習っている子どもが、過去世がモーツアルトだと知ったら、自惚れてしまい努力をしなくなるかもしれません。
今回は新しい人生なのですから、自分の過去世が誰であったかなんて、知らないほうが良いのです。
才能そのものは今世にも引き継がれるので、やがて開花します。いっそうの努力によって、前世では達せられなかったレベルまで到達できるようになるのだと思います。
まったく過去と同じ人生を繰り返すのならば、生まれて来る意味はありません。前世とは異なる経験を求めて、人間は生まれて来ているのです。
だから、過去世の記憶は、生まれ変わる前に一度忘れて、新しく生まれ変わって来るのではないでしょうか?
人間は死んでも、何度でも生まれ変わる
マグロジュースさんのように、過去世の記憶を持っている人も希にいます。この場合は、どのように捉えればよいでしょうか?
霊感体質の人は、やはり一定の割合でいます。それにも意味があって、生まれ変わりの真実を伝えるために生まれて来ている人も、いるのだと思います。
「人間は死んだらお終い」という唯物思想が広がり過ぎないようにするためには、霊の存在や、生まれ変わりの事実を伝える人も必要なのです。
死んだら灰になるだけならば、たった一回の人生を欲望の限り、好き勝手に生きたほうが得でしょう。死んだらお終いなので、世のため人のために生きるなんて、馬鹿らしくなります。
そうなると、人の迷惑も顧みずに、やりたい放題をやって、あとは刑務所にぶち込まれなければいいだけの人生になってしまいます。
でも、真実は、「人間は何度も生まれ変わる」のだとしたら、人生観はまるで違ってきませんか?
人間は何度でも生まれ変われるのですから、今の努力も決してムダになりません。たとえ今世では報われなくても、何度でもチャンスは貰えるのです。
これは「善因善果、悪因悪果」の法則が機能しているという意味であり、来世にも良い種を持ち越すためには、今世も頑張らなければいけないのです。
その頑張りを試されているのが今世です。来世もあるからと言って、安易な人生を歩んではいけません。ちゃんと今回の人生を、よく学んで卒業することが大事になるのですね。
信じる・信じないは各人の自由ですが、生まれ変わりはあると考えたほうが、より良い人生を歩めるのではないでしょうか?