米軍が宇宙人とテレパシー? 米海軍中佐とCIAが、本当にUFOを呼んだ!

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米海軍中佐が本当にテレパシーでUFOを呼び寄せた!

宇宙人とテレパシー交信

ワシントンに戻った海軍中佐は、1959年7月6日の午後、海軍の写真分析専門家ロバート・ニシャムと、CIAのアーサー・ランダールの二人と一緒に、スワン夫人の件について話し合っていました。

二人は海軍中佐に、もう一度テレパシー交信を試みてみるように主張しました。

すると、今度は成功したのです。海軍中佐は、スワン夫人と同様にトランス状態となり、質問に対して、次々に自動書記で回答していきました。

宇宙人とのテレパシー交信記録

海軍中佐が交信した相手は、天王星の「AFFA」という宇宙人でした。やはり宇宙惑星連合に所属し、四人組のパトロールチームのメンバーだということです。

以下、海軍中佐がAFFAと名乗る宇宙人と、自動書記で交信したという記録の一部です。

質問:あなたがたは、特定の政府や宗教団体、あるいは人種に対して好意を持っていますか?

回答:いや、そんなことはない。AFFA(署名)

質問:第三次世界大戦は起こりますか?

回答:いいえ、AFFA

質問:カトリック教徒は神から選ばれた民ですか?

回答:いいえ、AFFA

こうした質問と回答のやりとりは、次の質問をしたときにクライマックスを迎えました。

質問:あなたが実在するという証拠を見せてもらえませんか?

回答:どんな証拠なのか。

質問:あなたがたの宇宙船を見せてほしいのですが。

回答:いつ見たいのか。

質問:今すぐ見られますか?

回答:窓のところへ行け。

質問していた二人は、海軍中佐と一緒に、言われた通りに窓のそばに行きました。

「右手の方角を見ればいいのか」と尋ねると、海軍中佐は、その時だけは「そう」と言葉に出して答えたそうです。

UFOが出現し、レーダーに異変が!

テレパシー交信で呼んだUFO

すると、さほど離れていないところに、UFOが飛行していました。それは円盤型をしており、中心部よりも周縁のほうが明るく輝いています。

その場にいた全員が、テレパシーで本当にUFOを呼んでしまったことに、すっかり興奮してしまいました。もう交信どころではありません。

さっそく彼らは、連邦航空管理局のワシントン・センターに電話をし、レーダーがUFOを捉えていなかったどうか、問い合わせてみました。

すると、UFOが出現した空域だけレーダー像が完全に空白になっていたという、驚愕の事実が判明しました。

その日のうちに、彼らはブルーブックに連絡をしました。事件から三日後の1959年7月9日に行われた会合の席で、調査主任であったフレンド中佐は、この事件の全貌を知ることになったのです。

再度、テレパシー交信が行われる

7月9日の会合の席で、フレンド中佐は問題の海軍中佐に、この場でもう一度、宇宙人とのテレパシー通信を試みてほしいと依頼しました。

海軍中佐は承諾すると、やがて深いトランス状態に入っていきました。

フレンド中佐は、その時の様子を、「彼の鼓動が速くなり、のどぼとけがせわしく上下し、体はリラックスしているのですが、両腕と首の筋肉だけはものすごく緊張していました」と述べています。

そこでフレンド中佐も、海軍中佐に質問を試みましたが反応しません。なぜか、その場にいた者たちのうちの一人にしか、質問には答えなかったそうです。

フレンド中佐はその人物に依頼して、「またUFOを飛ばして見せてくれないか」と海軍中佐に尋ねてもらいました。

すると、「今はその時ではない」という返答が書かれました。残念ながら、その時の様子はカメラにもテープ録音にも記録されていませんでしした。

今の時代ならばスマホで写真も動画も残せたのでしょうが、当時は1959年という時代です。このような事態になるとは思わなかったので、誰も録音器材を用意していなかったのです。

上官に握りつぶされた報告書

フレンド中佐は、証拠を示せないことを残念に思ったのでしょう。その代わりに、会合に出席していた政府機関のメンバーが、この事件についてまとめた報告書をコールマン氏に見せました。

コールマン氏は一読し、氏名は全て削除されていたものの、フレンド中佐が話した内容と、基本的に一致していることを確認しました。

ちなみに、この報告書は、『UFO大襲来 人類への挑戦(邦訳)』という本に全文掲載されています。

その後、フレンド中佐はこの件について、彼が見聞した事実を改めて報告書にまとめ上げ、FTD(海外技術部)に提出したそうです。当時のブルーブックは、オハイオ州のライトパターソン空軍基地のFTDに所属していました。

ところが、FTDの上官は、「別の政府機関が調査を行っているのならば、我々は手を引くべきだ」と中佐に告げたそうです。

上からの圧力

コールマン氏は、恐らくもっと上のほうから、「この件からは手を引け」という指示があったのだろうと推測しています。

当時、ブルーブックは米政府からUFO調査を一任されていました。フレンド中佐は、その責任者であるにも拘わらず、事件の核心に迫ろうしたらストップを掛けられたのです。

米国のTVドラマ『X-ファイル』でもそうでしたが、現場のFBI捜査官が事件の真相を突き止めても、上層部のほうで握りつぶしてしまうのですね。

当時の機密情報の開示を!

実は、ブルーブックのUFO調査報告は、あまり評判が良くありません。ほとんどのUFO目撃情報は、誤認や自然現象として切り捨て、あとは情報不足による判断不能な事件としています。

このような通り一遍の報告内容になってしまった理由の一つには、現場のスタッフが真実の追究に努めても、上からの圧力が掛かってしまうという事情もあったのではないでしょうか?

当時、ブルーブックを指揮していたコールマン氏は、フレンド中佐の話を聞いて、もう一度、この事件を再調査するかどうか真剣に思い悩んだそうです。

しかし、調査を再開すれば、また上からストップを掛けられるに違いないと確信し、断念したそうです。

このコールマン氏の確信を裏付けるように、1959年7月9日に行われた会合の席に集まったメンバーたちは、全員が配置替えをされたり、他の基地や任務に配転されたことが後日、判明しています。

要するに、「もう調査を続けるな!」ということです。同時に、この事件がそれほど重大であったことを意味しています。

このように、UFO調査プロジェクトの指揮官でさえ、事件を思い通りに調査できないのですから、どれだけUFO情報の開示が困難であるかが分かるというものです。

これは1959年の事件であるため、今から当時のメンバーを集めて再調査するのは困難でしょうが、せめて当時、隠蔽されたかもしれない機密情報が開示されることを願いたいものです。

当記事は、以下の書籍を参考にしています。UFO事件について、興味のある方はお読みください!

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