「人類と宇宙人の交換留学」などと聞いたら、余りにも突飛もない話だと思うのが普通でしょう。人類はまだ太陽系の外にさえ出られていないので、そう思うのは当然です。
しかし、宇宙人たちが持っている宇宙船に乗っていけば、人類も他の惑星に行くことは可能です。
そもそもの事の発端は、ロズウェル事件になります。これは有名なUFO墜落事件ですが、墜落したUFOと宇宙人たちの死骸が回収された、という話までしか知らない人が多いと思います。
実は、墜落したUFOには、一体の宇宙人が生き残っていました。そして後年、その宇宙人の住む惑星に米軍人チームが向かったという、驚くべき計画が実行されているのです。
それは、「プロジェクト・セルポ」と呼ばれています。まさにこの計画は、人類と宇宙人の交換留学なのです。そして、記念すべき人類初の惑星間交流になります。
その後、惑星セルポに旅立ったメンバーたちが、帰還後に報告しているレポートも興味深いです! 詳しい内容は、ぜひ続きをお読みください!
プロジェクト・セルポは、ロズウェル事件が発端
ロズウェル事件をきっかけとして、地球人が宇宙人の住む惑星に行ったと聞いても、すぐには信じられない人も多いと思います。
そもそも、どうしてそのようなプロジェクトが実施されることになったのでしょうか?
ロズウェル事件とは?
ロズウェル事件は1947年7月、米国ニューメキシコ州で起きました。ロズウェル近郊の牧場地帯に、2機のUFOが相次いで墜落したと言われる有名なUFO事件です。
米軍はプレスリリースでUFO墜落を発表しました。しかし、その数時間後には「観測用の気球だった」と、早々に前言を撤回してしまいます。
ロズウェル事件に関しては、「ハハ、もう解決済みだよ。あれはソ連の原爆実験を監視する秘密作戦に使われていた気球なんだ。だから情報を隠したんだよ」と、したり顔で笑い飛ばす人もいます。
でも、そういう人たちを見て、本当にほくそ笑んでいるのは米政府かもしれません。政府筋の発表を、そのまま鵜呑みにはできない情報も数多く存在しているのです。
生き残った宇宙人イーブ1号
ここではロズウェル事件の真偽を探るのが目的ではないので、話を先に進めます。
ロズウェル事件では宇宙人の死体が回収されましたが、実は、生き残った宇宙人が一体いました。その宇宙人は通称イーブ1号(EBE1号)、またはイーバと呼ばれており、米軍に保護されています。
生き残ったイーブと事故死した仲間たちの遺体は、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所へと移送されました。
その後、試行錯誤をした末、イーブとの意思疎通ができるようになります。
イーブ1号は人間に好意的だったようで、故郷の星の情報や、墜落したUFOで見つかった様々な機器の使い方まで教えてくれたそうです。
「プロジェクト・セルポ」とは?
しかし残念ながら、生き残ったイーブ1号は、1952年に死亡します。そこで職員たちは、イーブ人が残した通信機器を使って、彼の故郷の星に通信を試みました。
そして米政府の秘密組織MJ-12(マジェスティック・トゥエルブ)が中心となり、1965年頃、「プロジェクト・セルポ」が実行されることになります。
これは地球人12名が、イーブ1号の母星であるゼータ・レティキュライ(Zeta Reticuli)座連星系の「惑星セルポ」に向かうという、驚愕のプロジェクトです。
これが事実ならば、「宇宙人は地球に来ているのか?」の話どころではなく、地球人も、宇宙人の住む惑星に行っている!ということになります。
プロジェクト・セルポは、米軍人と宇宙人の交換留学と言われているのです。
米国政府の元職員が情報をリーク
プロジェクト・セルポは、米国政府の元職員(アメリカ国防情報局出身と言われている)が、情報をリークしたものです。
元職員は匿名希望(リクエスト・アノニマス)の名前で、UFO関係のメーリングリストに、「プロジェクト・セルポ」の極秘情報を、十数通ものメールで送りました。
ロズウェル事件の当時、彼は現場を直接知ることのできる立場にいたらしく、事件についての正確な経緯を知っていることが、他の人の証言の裏付けで分かっています。
当事者たちでなければ分からないことを、彼は知っているのです。情報をリークした元職員自身も、生き残ったイーブと直接接触しています。
実は、彼こそがプロジェクト・セルボの計画に携わっていた人物だったのです。
元職員はすでに退職していますが、プロジェクト・セルポに関する3,000ページにも及ぶ文章と、さらにそれらを補足する膨大な資料を持っているそうです。
次ページでは、地球人とイーブ人の交換留学が、どのように実行されたのか?について、ご紹介します。