ツチノコは、古事記にも登場する日本最古のUMA(未確認生物)です。目撃証言も数多く報告されており、古くは縄文時代の土器にもツチノコが描かれていると言われています。
現在もテレビ番組で度々、ツチノコの捕獲作戦が放送されているのを見ますが、ツチノコの捕獲は未だに成功していません。
ところが、この幻のUMAツチノコを飼育し、詳しい観察記録まで残していたという、驚きの情報があります。
『ツチノコ―幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』という、本が出版されているのです。本物のツチノコを本当に飼育していたのでしょうか?
「ツチノコの飼育記録なんて嘘に決まっている」「蛇やトカゲと勘違いしただけ」と思う人も、ぜひ続きをお読みください!
UMAツチノコを飼育していた人物がいた!
幻のUMAツチノコを飼育していた人物がいたなんて、すぐには信じられない話だと思います。「そもそもツチノコなんていないよ」と考えている人のほうが、多いのではないでしょうか?
近年では、UMAツチノコの正体を、1970年代に日本に輸入されたオオアオジタトカゲとする説も出ています。
しかし実際には、オオアオジタトカゲが輸入される遙か以前から、数々の文献にもツチノコの目撃談は記録されています。
これから紹介するツチノコの観察記録も、1942~1943年に記されたものです。少なくとも、1970年代以降に輸入されたオオアオジタトカゲとは考えられません。
まずは以下より、問題の書籍の概要をご紹介します。
ツチノコの観察記録の本とは?
『ツチノコ―幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』には、化学研究家が1年間にわたって、ツチノコらしき未知の生物を観察した飼育記録がつづられています。
書籍には、ツチノコの精緻なスケッチや写真、骨格標本まで掲載されており、UMAファンには見過ごせない内容となっています。
本の著者は、1959年東京都狛江市生まれの木之倉茂氏です。祖父の徳太郎氏(本では佐之助)が遺したツチノコの観察記録を原本にして出版しています。
徳太郎氏は1986年に他界していますが、遺されたツチノコのスケッチなどは、ほぼ忠実に描き起こされているとのことです。
残念ながら現在では、出版社の碧天社が2006年に倒産し、もともと発行部数も少なかったことから、『ツチノコ 幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』は入手が困難な本となっています。
できれば原本を読んでみたいものですが、『ムー 2018年4月号』にて、この書籍の特集が組まれていたので、その要点を以下にご紹介します。
ツチノコが捕獲された経緯
ツチノコらしき未知の生物は、1942年8月21日、長野県埴科郡西条村(地名は当時)の山中で捕獲されました。
当時の日本は戦争中であり、軍の命令で山林を掘り起こす工事を行っていた時に、土中から見たことのない奇妙な生物が発見されたのだそうです。
作業員から連絡を受けた鉄道省の役人が、軍に報告すると、じきに「処分してよし」の返答がありました。
そこでやって来たのが、大日本理化学研究舎の研究員、木之倉佐之助氏(『ツチノコ 幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』著者の祖父)でした。
佐之助氏は、この奇妙な生物を見ると、野槌(のづち)と呼ばれる伝承の生物に似ていると思いました。野槌とは、ツチノコの別名です。
ツチノコは日本全国で目撃証言があり、地域によって名称が異なります。江戸時代の古い文献などを見ると、ツチノコを野槌と呼んでいます。
このため佐之助氏は、この未確認生物を殺さずに飼育し、じっくりと観察する必要があると判断したのです。
捕獲されたツチノコの体型
さっそく佐之助氏は、ツチノコらしき生物(確定はできませんが、以降、ツチノコと記します)を宿舎の自室に持ち帰り、飼育を始めました。
ツチノコは太くて平べったい体型をしており、体長は約30センチ、胴体の幅は最大で約8センチありました。ネズミの尻尾を短くしたような細い尾もありました。
頭部も偏平で、目は注意して探さないと分からないほど小さかったそうです。
また、体は茶褐色の細かいウロコで覆われていて、アオダイショウに似ていましたが、マムシなどに見られる銭形の斑紋が見られました。
佐之助氏は、このツチノコを撮影して残しています。以下の驚愕の写真をご覧ください!
世界初! 本物のツチノコの写真か?
佐之助氏が1942年の夏に、飼育槽で撮影したツチノコの写真です。確かに、こんな蛇やトカゲは見たことがありませんし、伝説のUMAツチノコに酷似しています。
『ムー 2018年4月号』より
これが本物ならば、世界で初めて撮影されたツチノコの貴重な写真になりますね!
『ツチノコ 幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』では、生きている時の写真はこの一枚しか掲載されていませんが、未掲載の写真も現存しているのかもしれません。
ツチノコの生態
捕獲されたツチノコは、佐之助氏によって一年余り飼育されました。以下、その飼育記録より、ツチノコの生態を以下にまとめてみます。
- 飼育したツチノコはミミズを食べた。
(※但し、これは飼育時の特殊な環境であるため、普段は小動物も獲物にしていた可能性はあると思います) - ツチノコの性格は極めて臆病で、土の中で暮らしている。飼育した一年余りの期間で、自ら姿を現したことは一度もなかった。
- ツチノコは夜行性と考えられる。活動が活発化する時間帯は、深夜2時から明け方の4時くらいと短い。このため佐之助氏は、昼間に幾度となく、土を掘り返して観察するしかなかった。
- 普段の性格は大人しいが、土中に潜ろうとするのを何度も妨げると、体を持ち上げて体を偏平させ、口を開いて威嚇することもある。
- ツチノコが威嚇した際に、60センチほど跳躍したこともあった。興奮して、尾も激しく振ることがあった。
- 地表に出した時のツチノコは、魚のヒラメのように体を小刻みに波立たせて移動する。まれに、しゃくとり虫のように進むこともある。
- ツチノコは毒を持っている。佐之助氏の同僚である益岡岩三郎氏が成分分析をしてみると、マムシの毒と同じタンパク質破壊酵素が含まれていた。さらに、マムシの毒にはない強い幻覚作用を及ぼす物質も検出された。
江戸時代の野槌蛇
江戸時代に寺島良安が記した『和漢三才図会(1712年)』(上写真)には、「野槌蛇」の名称でツチノコが記述されています。
それによると、「口は大きく人の脚を噛む。坂を下り走ると甚だ速く人を追う」とあります。
佐之助氏のツチノコの観察記録にも、「口を開いて威嚇することもある」とありますね。
普段は臆病で大人しい性質ですが、危険を感じると、攻撃的な行動にも出るようです。また、その際には、60センチほど跳躍したり、驚くほど敏捷な動きをするのだそうです。
これは江戸時代に目撃されていた「野槌蛇」と、性質が一致しているのではないでしょうか?
また、佐之助氏は「ツチノコは毒を持っている」とも記しています。
ちなみにモンゴリアンデスワーム(ゴビ砂漠に生息すると言われるUMA)も強い毒を持つと言われています。これは土中に潜む生物の特徴なのかもしれませんね。
素早く移動できない地中に潜んでいるため、獲物を一撃で仕留めないと、逃げられてしまうからです。
ツチノコの正体は、ニホンマムシの亜種?
テレビ番組「奇跡体験アンビリバボー(2008年1月17日放送)」でも、日本軍が捕獲し、飼育したツチノコの話題が取り上げられたことがあります。
実際の放送は見ていませんが、それによると、飼育されていたツチノコは、「死後解剖された結果、毒の成分から考えてニホンマムシの亜種」という見解が出されたようです。
▲ニホンマムシ
しかし、ツチノコからは、マムシの毒にはない強い幻覚作用を及ぼす物質も検出されているのです。
また、ツチノコは一日中、土中に棲むという生態を持っており、写真を見ても、ニホンマムシとは体型も全く異なります。毒の一部が一致しているという理由だけで、ニホンマムシの亜種であると、簡単に結論づけて良いのでしょうか?
次ページでは、ツチノコが実在する可能性について考察してみます。